あるビルマ人の話

ビルマ人のミンサンの話です。

大学の物理学科を出ても就職先がなく、
日本にいる親戚を頼って日本に来た。
ビルマではパスポートを手に入れるのはとても大変。
150万くらいかかった。
留学用だと200万も必要になる。
                                  
ビルマには言論の自由がない。                                      
               集会の自由もない
5人集まったら、すぐ警察がやってくる。 
                                  
軍政は国名をビルマからミャンマーに勝手に変えただけじゃなく、
国歌も勝手に変えた。
変わったことを、皆に広く知らせるんじゃなくて、
学校の始業式のときに国歌を歌うが、そのときに違う歌を歌わされて、
初めて国歌が変わったことを知った。
                                                    
                                                    
                                                    
    
アウンサン・スーチーさんは、ノーベル平和賞以外にもたくさんの賞を受けている。
ある学生が、スーチーさんがどんな賞を貰ったのか調べようと、
教授に訊きに行っただけで、逮捕されて投獄された。
その教授は、そういう質問をすることを止めなかった罪で6年間投獄された。
スーチーさんの名前は、口に出して言えないから、若い人はスーチーさんのことを知らない。          
     

スーチーさんだけじゃなく、ビルマ建国の父である、お父さんのアウンサン将軍でさえも、教科書から消えて、名前
を聞くことがなくなった。

頭が良かったり、英語ができたりすると、BBCを聴いたりして、国に対して反対するようなる。
だから、私たちは学校であまり勉強することができなかった。
だから、私たちの世代は、英語もあまり話せない。
                                
日本で、大学に行って勉強したい。
両親も日本に呼びたい。
だから今、朝10時から夜11時半まで、昼と夜と別のお店で働いて、お金を貯めている。
                 
日本では最初、居酒屋で働いた。
こういう仕事は、ビルマでは最下層の人がやる仕事だから、
初めて「ビールです」と言って運んだときは涙が出た。
                                  
オーバースティで、入管に約2ヶ月入っていた。
でもビルマの監獄に比べたら、ずっといいよ。
外に出られないというだけで、テレビも見られる。                             
                
今は特別在留許可をもらえた。                          
民主化になるまで、ビルマには帰らない。